神興機械サービス株式会社
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 これまで風雨にさらされるままであった二つの戊辰戦役の碑は、当社の正門より道路をはさんだ向側(東側)の木陰でまるで人目を避けるかの如くひっそり佇んでいましたが、このたび自治会を中心とした地元有志の方々の協力により、石碑保存のための屋根や新たに幕府軍戦亡者34名の名が記された鎮魂碑が設置されるなど、周辺も含めて美しく整備され、平成27年4月18日には完成記念式典も挙行されました。
 碑の傍らには新たな案内板も設置され、下記(写真の下)のような説明がなされています。
 その碑文からは、まさにその時、当社の位置する一帯が戊辰戦争屈指の銃撃戦による激戦地の真っ只中であり、その戦いが如何に凄惨なものであったのか、また悲惨なる最期を遂げた戦死者の霊を弔う当時の有志たちの心情も偲ばれます。
 当社または近隣へお越しの際には是非ご覧頂き、お時間があれば周辺の散策コースでもご散歩され、この地壬生町の歴史の1ページに触れながら、幕末の古戦場に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

戊辰戦役の碑 (右端の写真)

 慶応四年(1868年)、江戸開城に不満をもった幕府軍は、江戸を脱出し各地で官軍に反抗しました。「安塚の戦い」もその一つです。幕府軍の将、大鳥圭介は会津藩を中心として奥羽同盟を強大にすべく壬生を経て宇都宮に入ろうとしましたが、壬生藩の拒絶にあい、鹿沼を通り宇都宮に入り宇キ宮城を落としました。幕府軍は、さらに、壬生を攻略せんとして幕田に進出しました。
 一方、壬生に入城した官軍は、因州藩(鳥取)・土佐藩(高知)を主力として安塚に向かい、島田家を本陣として幕府軍と姿川を挟み陣を構えました。戦いは同年4月21日夜半から約4時間、豪雨と深い霧の中で行われたといわれています。この時戦死した幕府軍34名の霊を弔い、有志大久保菊十郎他3名の手によって、明治13年(1880年)に建立されました。

平成26年8月10日 壬生町教育委員会


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